歴史に名を残した偉人たちの成功戦略を、中小企業診断士の森岡健司氏がわかりやすく解説する本連載。第8回のテーマは「戦国武将たちの異名や二つ名から学ぶキャッチコピー」です。
「甲斐の虎」「風林火山」の武田信玄、「越後の竜」「軍神」の上杉謙信など、これらのキャッチコピーには、強さや知略だけでなく、個性やカリスマ性などの魅力が凝縮されています。
商品やサービスの魅力を一言で伝えるキャッチコピーの作成に悩んだら、戦国武将の異名や二つ名に注目してみましょう!
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目次
情報発信で高まるキャッチコピーの重要性
近年、老若男女を問わず、インターネットやスマホから情報を取得する事が当たり前になっています。
そのためホームページやSNSなどを通じて情報発信する事が重要とされ、業界や業種を問わず注力するようになりました。
しかし、XやInstagram、Youtube、Tiktokなど、SNSに分類されるものは大量に情報が流れていくため、すぐに埋もれていってしまいます。またYahooニュースやSmartNewsなどのニュースサイトも同様に最新のものが優先的に表示され、ここでもすぐに流されていきます。
大量に流入してくる情報の中から、ユーザーにコンテンツを読んで見てもらうには、まずは目を引いてクリックやタップして情報を開いてもらう必要があります。
この最初のアクションを誘引できなければ、どんなにすばらしいコンテンツであっても、情報の渦の中に飲み込まれ消えていきます。
ユーザーの関心を捉えるため重要になってくるのは、タイトル的な見出しや画像内のテキスト、動画のサムネイルです。これは、メールマガジンやブログであればタイトルです。
ただし、それらは短く簡潔にしながらも、内容を的確に伝える必要があります。ほぼ、一瞬でユーザーの関心を引く必要があるため、情報発信を行うには、現在では必ずと言ってよいほどキャッチコピーの要素が求められるようになりました。
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キャッチコピーに求められる要素
キャッチコピーとは、英語では「headline」とされ、商品やサービスの告知や宣伝に用いられる短い言葉やうたい文句で、読者の関心を呼び、注目を集める役割のものです。
キャッチコピーの特徴は、短く簡潔であることです。少ない字数に凝縮されたメッセージを印象に残る形で伝えることがポイントです。多くの場合、15字~25字以内に表現することが理想と言われています。
効果の高いキャッチコピーには下記の4つの要素が重要だと言われています。
● 簡潔で明確なメッセージ
● 感情に訴求する
● 記憶に残るフレーズ
● 視覚的な魅力
画像内のテキストや動画のサムネイルを作る際には、これらを盛り込む事が成功のポイントとなります。
売上や収益に直結するため、企業だけでなく個人レベルにおいても、ユーザーの興味を引くことができるキャッチコピーへの関心は非常に高くなっています。
キャッチコピーの良い事例としては、これまでのヒット商品のTVCMや新聞広告などがあります。または映画や書籍のタイトルや紹介文なども参考になります。
また、モノだけでなくスポーツ選手や有名人、政治家などに付けられた別称などもキャッチコピーの要素が強く含まれています。世界的に有名な人物には本名よりも有名となるものもあります。
スペインのサッカーチームのレアルマドリードは、当時、世界中の有名な選手を集めて、優勝を重ねていた事から「銀河系軍団」と呼ばれていました。
NBAのマイケル・ジョーダンは、ジャンプ時の滞空時間の長さから「エア・ジョーダン」という愛称で知られています。
サッカー選手であれば、ペレは「神様」と、ベッケンバウアーは「皇帝」と、クライフは「空飛ぶダッチマン」が有名です。
歴史に目を向けると、プロイセンの首相だったビスマルクは、その演説により「鉄血宰相」として教科書に載るようになります。イギリスの女性首相サッチャーは、その断固たる政策や姿勢から「鉄の女」と呼ばれています。
これらの有名な別称は、読むだけで端的にどのような人物や組織であるかが分かる点からも、キャッチコピーの要素を大いに含んでいると言えます。
そして日本においても良い事例があります。それは現代にまで広く知られる戦国武将たちに付けられた異名や二つ名と呼ばれるものです。
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戦国武将の「異名」や「二つ名」は現代のキャッチコピー
現代にまで名を残し、広く知られている戦国武将たちは、必ずと言っていいほど、異名や二つ名を有しています。
例えば、多くの方が知っている武田信玄は「甲斐の虎」という異名が有名です。また「風林火山」や旗印に書かれた文言もかなり知られています。
同時期にライバル的存在であった上杉謙信は「越後の竜」や「軍神」という異名があります。信玄と対になる言葉であるため、二人の関係性が見えてきます。
そして、二人の人柄や考え方、経験、実績を短い言葉で端的に表しています。これらの異名から伝わってくる雰囲気によって、どのような事があったのか興味をそそられます。
なお、異名や二つ名の多くは当時、実際に使われたり言われたりしたものとは限りません。どちらかと言えば、戦国時代が終わり、平和な江戸時代になって、当時の庶民の娯楽であった浄瑠璃や講談などの作品の中で生まれたものも多いようです。
例えば「甲斐の虎」と「越後の竜」については、江戸時代前期から中期に活躍した近松門左衛門『信州川中島合戦』という浄瑠璃用に作った物語の中で生まれたと言われています。
この表現が観客の心に響き、広く受け入れられた結果、数百年後の現代でも信玄と謙信を表す異名として伝わっています。
この異名は、まさに二人の名将を上手く表現した名キャッチコピーです。
それでは現代でも使われている有名な戦国武将の異名や名言を紹介していきたいと思います。
戦と野心の強さをうまく表した「独眼竜」
現在の宮城県や仙台市を代表する戦国武将と言えば伊達政宗です。仙台市の史跡である青葉城跡に行くと銅像が建てられて、多くの観光客が訪れています。
ご当地キャラにも大きく影響を与えているだけでなく、漫画やゲームのキャラとしてもよく使われており、地元だけでなく日本全国から愛されている武将です。
この政宗には「独眼竜」という有名な異名があります。政宗が隻眼だったことが由来とされていますが、これは後世に付けられたものです。
江戸時代後期の頼山陽が自身の詩の中で、政宗の偉業を称えるために、中国の将軍李克用の異名を借用したのが始まりです。
この李克用は黒い甲冑を纏った軍を率いて連戦連勝した事で、「鴉軍」と呼ばれ敵から非常に恐れられたと言われています。
政宗は教養もあり、自らの部隊の甲冑も黒を基調としており、普段から好んで「龍」の文字を用いていたことからも、戦に強い李克用を率先して真似していたという説もあります。
この「独眼竜」という異名は、政宗のイメージを的確に表していたようで、時代を経てもそのまま定着していきます。
そして、NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」が人気を博したことで、さらに広く知られることになりました。
この「独眼竜」という言葉は、戦に強いというイメージを脱して、死ぬまで野心を持ち策動し続けたという政宗の生涯をよく表していると思います。
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既成概念の破壊者をイメージさせる「第六天魔王」
戦国時代において、最も先進的でありながらも、非常に残虐な戦国武将というイメージを持つのが織田信長だと思います。
神も仏も恐れぬ現実主義者であり、伝統を恐れずに朝廷や幕府も蔑ろにできる合理主義者、または実力者という印象が定着しています。
その信長には「第六天魔王」という異名が付けられています。「第六天魔王」とは仏教における修行を妨げる最高位の悪魔の事と言われています。
つまり仏教を厚く信仰するものの最大最強の敵ということになります。
「第六天魔王」という異名は、信長が仏教の総本山とも言える比叡山を焼き討ちした際に、武田信玄からの非難に対しての返書に記載したとされています。
ただし、この件は日本の文献には残されておらず、イエズス会のルイスフロイスの手紙の中に書かれていたものが、広く知られるようになりました。そして、いつしか信長の異名として定着してしまいました。
信長が比叡山や本願寺、根来寺など仏教勢力を敵に戦っていたのは事実です。実際、戦国大名なみに強大な勢力であった比叡山を徹底的に攻撃しています。
この話のイメージが強いため仏敵である「第六天魔王」という異名がハマったのかもしれません。
現代でも「第六天魔王」をタイトルに入れた信長にまつわる書籍は数多く出されています。
信長が改革者であるというイメージと「第六天魔王」という破壊者を想起させる異名の相性が良かったようです。
しかし、最近ではこれまでの信長像とは違う説も唱えられるようになってきています。信長は新しいものを取り込みながらも、一方で伝統的なものも大事にしていたと言われています。
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生存戦略と身体的特徴が相まった「狸親父」
最近、話題となった大河ドラマ「どうする家康」の主人公は、戦国時代に生まれ、天下泰平の江戸時代を築いた徳川家康です。
約260年にも渡る戦乱の無い平和な時代の基礎を創った家康ですが、最終的に君主でもある豊臣家を滅ぼし権力を簒奪した者として、一般的にはあまり良いイメージを持たれていないと思います。
それが異名にも反映されているようで、そのぽっちゃりと言われる体形とも重ねられて「狸親父」と呼ばれています。
「狸親父」とは、文字のイメージ通りに、年を老いてずるがしこい男に向けて蔑むような意味があります。
また戦国時代の平均寿命からすると、75才と非常に長生きし、その最晩年に豊臣家を滅亡させた事への当てつけも含まれているようです。
家康は他の派手で煌びやかな武将たちと比べると、信長や秀吉に従属または協力する形で、地道に徳川家の勢力の拡大を図り、最終的には豊臣家から権力を奪い取っていったという過程が、人をだますと言われてきた狸のイメージと重なったと思われます。
家康が「狸親父」と呼ばれるようになった出自は不明ですが、この別称は今では一般的にも広く認知されています。
そのせいか、狸と言えば、家康を連想するほどに定着しています。
この家康を端的に表現した「狸親父」を覆すように、「どうする家康」ではアイドル出身の俳優を当てています。
またドラマの中での家康像も、突発的な事件に巻き込まれながらも、理想とする社会の構築を模索する好青年、好人物として描かれています。
この作品は、これまでの「狸親父」という家康に付けられた別称を、新たに上書きするチャレンジだったとも言えそうです。ただし、それでもイメージの完全な払拭にまで至っていないと思います。
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旗に書かれた名文の一節から生まれた「風林火山」
テレビなどの好きな歴史上の人物ランキングでは、必ず上位に出てくるのが武田信玄です。
現在の山梨県である甲斐国を治めた戦国武将で、「軍神」の異名を持つ上杉謙信や「相模の獅子」と呼ばれた北条氏康などの強敵と争いながらも、自らの勢力を拡大させていきました。
謙信とは信濃国の川中島で5度も戦い、巧みな外交と戦術を駆使して支配領域を広げていきました。最終的には信濃国を支配下においています。
当主が桶狭間の戦いで敗死して弱体化した今川家を攻めて、その版図の多くを手中に収めています。
これらの活躍と戦闘時の旗指物に書かれた孫氏の兵法の下記の一節がリンクし、硬軟織り交ぜた戦上手のイメージが定着しています。
<風林火山とされる一節>
1. 其疾如風(其の疾ときこと風の如ごとく)
2. 其徐如林(其のしずかなること林の如く)
3. 侵掠如火(侵掠すること火の如く)
4. 不動如山(動かざること山の如し)
江戸時代の文献に、この一節が書かれた旗を使用した事が見られますが、この時点では「風林火山」というフレーズはまだ生まれていません。
昭和時代になって、作家の井上靖氏が、信玄の家臣山本勘助を主人公にした小説のタイトル用に「風林火山」という造語を付けたことから、この四字熟語的なフレーズが広まり定着したと言われています。
現在では、創作者である孫氏よりも、信玄という人間とその戦術を端的に表すキャッチコピーとして「風林火山」が使われるようになりました。
「異名」は長く語り継がれる伝説的なキャッチコピー
これまで挙げてきた異名や格言は、それぞれの戦国武将の人間性や実績を上手く表現しています。
そのため現代にまで引き継がれ、戦国武将たちのイメージの醸成に貢献しています。
そこから発想を得て膨らませて漫画やゲーム、映画などエンタメに昇華されています。異名を得たことで何度も使われる素材になっていると思います。
現代でも広く知られる武将には、下記のように異名などが付けられて親しまれています。
● 豊臣秀吉:戦国一の出世頭
● 明智光秀:三日天下
● 加藤清正:鬼上官
● 竹中半兵衛:今孔明
● 長宗我部元親:土佐の出来人
● 斎藤道三:美濃の蝮
● 真田昌幸:表裏比興(卑怯)の者
● 真田信繁(幸村):日本一の兵(つわもの)
● 立花宗茂:天下無双
● 本多忠勝:日本第一、古今独歩の勇士
● 今川義元:東海一の弓取り
● 津軽為信:髭殿
● 龍造寺隆信:肥前の熊
● 鍋島直茂:龍造寺の仁王門
● 最上義光:出羽の狐
真田家は親子でそれぞれ有名な異名を持っています。
父昌幸は、主家の武田家が滅亡すると、家康たちの下を渡り歩きながらも、最後は大名にまで上りつめています。その老獪な戦略性が「表裏比興(卑怯)の者」と表現されています。
次男である幸村は、寡兵で正々堂々と戦って、徳川軍を潰走させかけた戦いぶりが高く評価されて「日本一の兵(つわもの)」と表現されています。
親子での異名の違いだけで、どのようなバックグラウンドストーリーがあるのかと興味が湧いてきます。
このように異名を見るだけで、どのような武将だったのかが分かるように、どれも非常に秀逸です。そして、そのどれもが「簡潔で明確なメッセージ」と「記憶に残るフレーズ」を満たしています。
何と言っても、現代でも戦国武将たちの異名が定着していることは、キャッチコピーの成功事例だと思います。
企業や個人のブランディング、商品やサービスのマーケティングで使うキャッチコピーを制作する時の参考事例となりそうです。