企業マーケティングの成功には、確固たる戦略が欠かせません。特に変化の激しい「VUCA時代」では、その必要性は一層高まります。生き残りをかけた戦略立案のヒントは、混迷を極めた「戦国時代」や「幕末」などを生き抜いた歴史の偉人たちに隠されているかもしれません。
この連載では、中小企業診断士であり『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』の著者である森岡健司氏が、戦国武将や歴史の偉人たちの戦略に注目し、詳しく解説します。初回のテーマは、革新と大胆さで知られ、多くのビジネスパーソンを魅了してやまない「織田信長」です。
なぜ織田信長が天下統一への足掛かりを得たのか、現代のフレームワークを用いてその謎に迫ります。フレームワークによる分析の入門編としても非常に有用で、マーケティング初心者の方にもわかりやすい内容になっています。ぜひご一読ください!
目次
マーケティングフレームワークと温故知新
温故知新という言葉をご存知でしょうか?
論語に出てくるこの四字熟語の意味は「昔のことを研究して、そこから新しい知識や道理を見つけ出すこと」です。
短く要約すると「先人の知恵に学ぶこと」です。私が歴史好きのせいかもしれませんが、この慣用句が好きで、いつも頭のどこかにあります。
近年、これまでの成功体験や一般常識が通用しない不確実性の高い時代になっていると言われています。
デジタル技術の発達により企業規模の優位性が薄れてきています。また、スマホなどデバイスの普及、SNSなどソーシャルの発信力の増加によりモノだけでなく情報も溢れ返り、顧客のニーズも多様化しています。
そのため伝統や実績のある企業であっても、イノベーションや事業再構築によって生き残りを図る必要に迫られています。
過去に似たような時代があります。幕府や朝廷の権威が低下し、海外から新しい知識や技術が流入し、地方の新興勢力が発言力を増し、貨幣経済の発展により庶民も力を持つようになった戦国時代です。
すべての者が変化の激しい環境への適応を迫られ、新しいルールや技術に対応できないものは容赦なく退場させられました。
一方で、何度も命運を分ける選択と判断に迫られながらも、現代にまで家名を残す事に成功したものたちも数多くいます。
この先人たちの判断や選択は、温故知新の言葉のように、現代の企業や組織の生存戦略において、非常に参考になるのではないでしょうか。
今回は天下統一の礎を築いた織田信長に焦点を当てたいと思います。
信長は数々の選択と判断を下し、何度も窮地に立たされながらも、天下統一事業を進めていきました。
その中でも大きな分岐点となる選択と判断があります。それが幕府再興のための上洛計画です。
このころの織田家を現代のマーケティングフレームワークに当てはめて見てみたいと思います。
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リスクある上洛計画に対する信長の選択と判断
一般的には織田信長というと、現在の愛知県の尾張一帯を支配下に置く守護代の家に生まれた恵まれた存在で、その力を足掛かりにして天下統一の目前にまで迫る事ができたと思われているようです。
実際のところは、そこまで有利な状況からスタートしていません。信長の家系は守護代の下の清州三奉行の一つでした。家格も高くなく、全国的にも無名な存在です。
父の織田信秀の頃に尾張の2分の1を勢力下に置いたと言われ、それを継承したのが信長です。
但し、実際に信長が継いだのは4分の1程度だったとも言われております。ここから天下統一に手を掛ける活躍をします。
また有力家臣の多くは弟に付けられたため、信長は自前で家臣団を構築していきました。後に、実力主義による人材登用と言われますが、実際は必要に迫られての側面もあったようです。
一方で、商業地の津島湊を継承できたのは大きく、その後の活動の助けとなりました。
そして、1560年に桶狭間で今川義元を討ち取り、その5年後にやっと尾張統一を達成します。新興勢力でもある信長への反発は少なくなかったようで、家督継承から13年も要しています。
安定した統治及び勢力拡大において、織田家の声望を高めることは重要な課題でした。
このようなタイミングで、将軍候補の足利義昭から上洛計画への協力要請を受けます。
織田家としては尾張の統治も不安要素がある中、国内の兵力が手薄になること、遠征するための軍費がかさむことなどリスクはかなり高いものでした。失敗した場合のダメージは相当大きいでしょう。
ただ、もし成功すれば、声望を高められ内外での影響力が増します。また、幕府や朝廷によって公式に尾張などの統治を認められる可能性も高まります。
結果的にも、この上洛計画は信長にとって、大きな分岐点となります。信長はどのように選択と判断をしたのでしょうか。
この時の織田家の状況を、マーケティングでよく使われるPEST分析と3C分析、SWOT分析に当てはめて、信長の思考の一端をイメージしてみたいと思います。
織田家のPEST分析
PEST分析はマーケティング戦略を立案する際に、自社の置かれている外部環境を把握するためによく使われます。
「Politics(政治)」「Economy(経済)」「Society(社会)」「Technology(技術)」という4つの視点で分析します。
これに1568年頃の織田家が置かれていた当時の環境を当てはめてみます。
1) Politics(政治):
①13代将軍足利義輝が暗殺され、幕府及び将軍の権威が低下
②三好家のよって傍系の足利義栄が14代将軍に就任
③在地領主や寺社、商業都市などが独自の軍事力と経済力を有し発言力を拡大
2) Economy(経済):
①農業生産力の向上や商品経済、貨幣経済が浸透
②物流の発展し、地方の経済力が上昇
③海外との交易も活発化
3) Society(社会):
①各地で実力のあるものが実権を獲得
②連歌や茶の湯などの上級文化が一般にも拡大
③一向宗が急激に広まり多くの信者を獲得
④海外との接触も増え、宣教師の登場
4) Technology(技術):
①築城や灌漑など土木技術や農業技術が向上
②海外との貿易のため航海や造船に関する技術が向上
③日本刀や鉄砲、大砲などの金属加工技術が上昇
1568年ごろの織田家を取り巻く外部環境を見てみると、中央政権の不安定化、新しい技術の発展、実力主義の広まりが注目すべき点です。
特に庶民とされてきた層が力を持つようになった結果、加賀国では守護の富樫家を放逐し庶民による自治を行っています。旧来の秩序から新しい秩序への移行が伺えます。
新しい技術や知識と既存の価値観が入り混じった状況かと思います。
関連リンク:【テンプレート付き】PEST分析とは?戦略に活かす分析のやり方や具体例を解説
織田家の3C分析
3C分析は市場の動向や顧客のニーズに加えて、自社や競合の強みなど、PEST分析と違って自社の内部環境を理解する時によく使われます。
「Customer(市場・顧客)」「Company(自社)」「Competitor(競合)」の3つの視点で分析します。
これに1568年の織田家の状況を当てはめてみます。
1) Customer(市場・顧客):
①鎌倉時代よりも人口は大幅に増加している
②治安の悪化により農民や商人、寺社なども武装を必要としている
③幕府のように自己を保護・保障してくれる存在を必要としているが、過剰な介入や重い負担は求めていない。
2) Company(自社):
①尾張を支配下に置いている
②津島・熱田など商業地域を領有
③守護代の家臣筋のため家格は高くない
④譜代家臣が非常に少ない
⑤浅井家、徳川家、武田家など周辺国と縁戚関係を結んでいる。
3) Competitor(競合):
a) 朝倉家:
①越前国の守護代
②義昭を擁しているが上洛には消極的
③京に比較的近いが豪雪地帯
④自国の安定優先
b) 武田家:
①清和源氏の名門で甲斐国の守護
②地理的に京から遠い
③甲相駿三国同盟の動揺
④今川領への領土的野心
c) 三好家:
①阿波国の守護代
②阿波と畿内に勢力を有す
③13代将軍を暗殺し14代将軍を擁立中
④長慶の死により内部抗争が激化
d) 今川家:
①足利の庶流で駿河国の守護
②地理的に京からやや遠い
③甲相駿三国同盟の動揺
④義元の死により国内が混乱
織田家が純粋な企業体ではないため、Customerについては、今回は顧客というよりもステークホルダーとして捉えており農民・商人・寺社・在地領主を対象にしています。
人口の増加により消費市場が拡大していく中、各々が自分たちに都合の良い秩序構築を求めて、争いが増加していきます。
織田家は尾張を統一し、財力も豊かになりつつも、信長一代で急速的に大きくなったため、まだ伝統性や権威性が高くないというのが懸念材料でした。そのため周辺国との関係性には神経を要します。
ただ、競合の武田家、朝倉家などはそれぞれの問題や思惑を抱えており、義昭のための上洛や遠征については消極的です。
信長の直接の競合となるのは、14代将軍足利義栄を擁している三好家です。ただ、義栄は将軍を継承する上での正統性では義昭に劣る存在でした。加えて、三好家中で主導権争いが激化しており一枚岩ではありませんでした。
関連リンク:3C分析とは?やり方や手順、テンプレートも紹介
織田家のSWOT分析
SWOT分析は当該組織の内部環境と外部環境の良い面・悪い面を洗い出し、現状の把握と今後の対策を検討するためによく使われます。
「Strength(強み)」「Weakness(弱み)」「Opportunity(機会)」「Threat(脅威)」の4つの視点で分析します。
前述のPEST分析と3C分析の結果を元にする事で精度が増すと言われています。
1) Strength(強み):
①尾張や美濃を支配し、地理的に京に近い
②津島・熱田など商業地域を領有
③浅井、徳川、武田などとの縁戚関係
④家臣は家柄よりも実力重視
2) Weakness(弱み):
①守護代の庶流という出自で全国的な発言力が弱い
②領国内での統治の正統性が弱い
③父祖の代からの譜代家臣が少ない
④周辺の一向宗徒の存在
3) Opportunity(機会):
①秩序維持のため幕府の再興が求められている
②足利直系である義昭からの支援要請
③貨幣経済と商品経済が活発化
④鉄砲や造船など技術の発展
⑤三好家の内部抗争による混乱
4) Threat(脅威):
①14代将軍義栄の存在
②治安悪化による農民や商人の武装化
③寺社勢力の財力と武力
④各諸侯の思惑や関係性が流動的
⑤海外からの新しい技術や思想の流入
織田家の軍事力と財力に、将軍候補の義昭という権威が重なれば、上洛計画が成功する可能性が高いと考えられます。これはクロスSWOT分析で言うところの強みと機会を掛け合わせるSO戦略です。
また、将軍候補を掲げることで、織田家の家格に関する弱みを補えます。加えて脅威となる他勢力への牽制や抑制の効果も得られます。
こうしてフレームワークに当てはめてみると、上洛計画は戦略として理に適っています。信長がリスクを取ってでも上洛しようと判断したことが理解できます。
関連リンク:SWOT分析とは?やり方や分析例を図とテンプレート付きで簡単に
上洛計画の成功とその後
信長の上洛計画はひとまず成功します。実際は義昭の権威だけでは通じずに、六角家の反発など予想外の事態も多少ありました。
しかし、織田家の武力や財力と義昭の権威の相乗効果は高く、想像以上にスムーズに幕府の再興に成功しました。
織田家は幕府再興の功労者として称えられ、尾張など領国の統治の正統性も認められます。
加えて草津や堺などの商業地の支配権と、足利家の家紋と尾張守護斯波家並みの礼遇を受けとり、強みである財力の強化と弱みである家格の上昇を達成します。
目的を果たした信長は、幕府の運営を義昭や幕臣たちに任せて美濃に帰還します。
この上洛計画を通じて、織田家の強化と改善に成功しました。結果的には、この選択と判断によって中央への足掛かりを生むことになり、その後の天下統一事業へと繋がっていきます。
もし織田家が上洛計画の支援をしていなければ、その後の展開は大きく代わり、歴史も違ったものになっていたでしょう。幕末まで大名家として小さいながらも存続できた織田家もどうなっていたか分かりません。
比較事例として、同じく義昭から上洛計画を持ちかけられていた朝倉義景を簡単に見てみたいと思います。
競合の朝倉義景の選択と判断
朝倉家は越前国の守護代の家柄で、地理的にも優位性がありました。九州や東北の勢力と外交関係を有し、周辺の勢力とも古くから縁戚関係にありました。
さらに、経済力も豊かであったようです。ただ、一向衆の存在が大きな懸念材料でした。
義景は義昭を匿いながらも、上洛要請を無視しています。間接的な支援はするものの、リスクの高い行動は避け続けました。
しかし、自国の防衛のためであれば、隣国へ軍事介入などは行っています。一説には上洛を拒否したのは、居城の一乗谷城から長期間離れる事を嫌がったと言われています。
その後も義景の行動は徹底しており、新将軍に就いた義昭からの再度の要請があっても、これに応じませんでした。国内にいくつかの不安要素があり、そのリスクを恐れたと言われています。
ただ、この態度を義昭への叛意とされ、幕府と織田家の連合軍によって攻撃を受ける事にあります。そして、最終的に信長の手によって朝倉家は滅ぼされます。
こうして比較してみると、上洛計画という機会に対してどのように対処したかで、その後の結果に大きな違いを生んでいることが分かります。
歴史上の人物の判断や選択を、現代のマーケティングのフレームワークで分析してみると、どのように考えたのか、その一端が垣間見えるようです。
信長の成功からも、義景の失敗からも学ぶことは多々あり、これは現代のビジネスだけでなく色んな環境で参考にできると思います。
VUCAの時代だからこそ、混迷の時代を生きた先人の事績を参考にできるのではないかと思います。
ちなみに信長はその後も危機的な状況に何度も陥り、そのたびにあらゆる手を使って抜け出しています。そんな信長が切り抜けられなかった本能寺の変は謎多き事件とされるのだと思います。
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